☆リトルの星くず日記

 1999年6月分のバックナンバーです


 6月 1日(火)

 中学生用web原稿を仕上げました。来週の内容ですがそのころには沖縄に行ってるので早めに公開しちゃおうかな。沖縄用に夏服の整理をしたくて、まずはお部屋の掃除をしました。やっと灯油が消費されたファンヒーターをしまい、ついでにフローリングにワックスがけをしてピカピカになった! 今なら来客OKなんだけど…>ピットサイン出しちゃおうか(笑) 夕刊の「太陽活動活発」を見てオーロラに期待をふくらまし、ピラミッドの内部公開に行きたくなり、トキの名付けに「小学生の団体だけなんて〜」とくやしがる。夜は火星観測イリジウムシャトルの観測をしました。

 6月 2日(水)

 九州南部まで梅雨入りしました。去年の日記を見ると、関東でも今日梅雨入りしてるんですね。来週沖縄に行くころ現地はどんな天気かな。 ペルータイの日食観測で使った阪急交通社から、今年の日食ツアー案内がきました。ドイツで30万円を切るなんてサスガ!です。でもいまごろ?って思ったら「当初トルコ・東欧で進めていましたが、情勢不安によりお客様の安全第一を考えました」とあり感心しました。

 6月 3日(木)

 昨日梅雨入りについて書いたら、やっぱり関東まで梅雨入りしましたね。怪鳥さんと買い物や沖縄旅行残金の支払に行きました。こまごまとした雑用がたくさんあったんですが、だいたいクリアーしたかな。 私はお米が好きです。おかずがなくてお茶漬けになってもいいから、パンだけやパスタだけでは夕飯にならないんだな。今晩は焼きそばだった。うーん、仕方なく夜食に勝手にお茶漬け食べて満足、満足。

 6月 4日(金)

 TAMA市民塾「沖縄の近現代史を照射するとき」で、沖縄戦に関するビデオを見ました。日本軍は国民を守るのではなく国家・国土(天皇・皇土)を守るものであり、沖縄の住民は日本軍によって犠牲にされたことがよくわかりました。それが集団虐殺(いわゆる集団自決)なのです。その象徴であった日の丸や君が代を尊ぶことができないのは当然でしょう。もっと教育現場でも教えてほしいと思いました。本当にいま戦前になりつつあると感じました。夜は怪鳥さんと「ひめゆりの塔」のビデオ鑑賞。旅行3日前にしてどっぷり沖縄戦につかっています。 今日発売の土地改良制度記念切手は農地関連切手の中ではけっこうかわいい。いっしょに買った日本・ギリシャ修好100周年記念切手はよくみると北斗七星も描かれている。

 6月 5日(土)

 義妹が自宅に帰りました。赤ちゃんも、だいぶしっかりしてきたしね。来週からの旅行準備のついでに衣類の整理をしました。着ない服は姪たちにあげちゃお。姉からもらったお下がりを、さらに姪にお下がりします。こうして20年くらい順に巡ったりして。あらためてみると姉の古い流行の服は、一巡してまた良いセンスです。ま、基本的には流行は気にしないからいいんだけどネ。

 6月 6日(日)

 FAS定例会でした。でも、たった5人の参加者でとってもさびしかったです。メンバーの1人が勤務の移動により7月から来られなくなるとのことで、二次会はささやかなお別れ会の気分。今までが単身赴任だったから、ご家族の町にもどれて良いことなんですがね。福島でもお元気で! ダービーの応援馬は2着で残念。いつもは競馬場まで観戦に行くけど、今年はそれほど盛り上がらずTVで見ました。 さ、いよいよ明日から沖縄旅行。

 6月 7日(月)

 いよいよ沖縄へ出発。JAL機内はすっかりリゾートでした。羽田で降っていた雨も那覇空港では上がり、沖縄は梅雨らしい曇り空です。
 さっそく今回の旅の第一目的「沖縄戦跡をめぐる」ために南風原町へ行きました。ここには
陸軍病院壕跡とその資料館ともいえる南風原文化センターがあります。ひめゆりの塔で有名になった「ひめゆり学徒隊」が看護したところなのです。いま私が見学するだけでも大変な山道を、戦火のなか彼女たちが走り回ったと思うと驚いてしまいます。後に彼女たちはここを移動させられ南部の壕へ行き、壮絶な最期をとげるのです。
 ちなみに南風原とかいて「はえばる」と読みます。この近くには東風平とかいて「こちんだ」と読む地名があります。ともに気象で使われる南風(はえ)東風(こち)がもとなのですが、タクシー運転手によると沖縄は近代まで古典的大和語が長く使われていた地だそうです。
 夕飯は那覇市内の公設市場の食堂で食べました。ずらりと並んだメニューのなかから何を選んでいいかわからずにいると「これがおいしいよ」と店員さんが親切に教えてくれました。結局、ゴーヤチャンプルにアーサー汁、ご飯がついて二人で1000円ほど。安い! ついでにクァーサージュースまで飲んじゃった。おいしかった〜。
 この市場は広くて安くて沖縄特産品がいっぱい並んでいて、見ているだけでも楽しいです。スナックパインが350円と安かったので、買ってホテルで一粒ずつもぎながら食べました。とっても甘かったです。那覇の中心街国際通りは夜遅くなってもにぎやかで、土産店をのぞきながら散歩してホテルへ向かいました。

 6月 8日(火)

 沖縄戦の跡をおって、まず旧海軍司令部壕へ行きました。長い壕の一部が当時のまま公開されており、手榴弾の弾痕跡など生々しく残っていました。ここから徐々に米軍に占領されて、沖縄県民は南部へ逃れていくのです。そのとおりに私たちも南部へ向かいました。
 果てしなく広がるサトウキビ畑の細い道をバスにゆられひめゆりの塔へ。ここで多くの悲劇は生まれたのです。すっかり観光されてしまっているけれど、その本質を忘れないようにしたいと思います。
 昼食に沖縄そばを食べ、1q先の魂魄の塔(こんぱくのとう)まで歩きました。ここには南部一帯にあった遺骨を収集して祀ったところです。今ではザワザワと気持ちよくそよぐサトウキビ畑の下に、当時多くの遺骨が眠っていたと思うと鳥肌が立つほどの悲しみがわいてきます。
 次の目的である平和祈念公園へ行くためにバス停へ向かって歩いていると、小さな車が止まり「同じ方へ行くなら乗っていきませんか」と声をかけてくれました。午後1時の炎天下で疲れていたから助かりました。実は、今朝も安くタクシーに乗せてもらっていたのです。
 沖縄戦終焉の地であり、今は多くの慰霊塔が建っている平和祈念公園は小高い丘でした。摩文仁の丘(まぶにのおか)といわれるここは海に向かって切り立った断崖絶壁で、その下に健児の塔がありました。丘の上には司令官だった牛島満と軍参謀長だった長勇が自決するまでこもった洞穴と碑がありますが、真の姿は崖の下にあるのです。この場所を教えてくれたおばあさんから買ったお花とお線香を添えました。
 資料館と平和の礎(へいわのいしじ)を見学。波のように並ぶ礎は、実際に鉄血勤皇隊として戦い生き残った大田・元沖縄知事時代に作られた祈念碑群です。慰霊の日である6月23日の子午線をなぞって放射状に作られています。その数が沖縄戦戦没者の多さを物語っていました。
 夕方は玉泉洞王国村を観光しました。鍾乳洞は期待以上におもしろかったです。王国村も琉球時代からの伝統工芸がよくわかりました。閉園ギリギリまで見物し、バスで喜屋武岬を経由しながらホテルへ帰りました。多くの住人が身を投げた喜屋武岬や、集団自決があった米須地区を夕暮れに回ると、草むらから魂が呼びかけるようで恐いくらいでした。

 6月 9日(水)

 復元した首里城をさらっと見学し、その城壁下にかすかに気配が残る三十二軍司令部壕跡を探しました。首里城近くの金城町の石畳道は道百選にも選ばれている素敵な道です。石畳って好き。その後は、レンタカーを借りて中部に移動開始。嘉数台地(かかずだいち)は沖縄戦の激戦地で、今なお日本軍のトーチカや弾痕が残っている公園です。そしてここからは、普天間基地が見渡せるのです。宜野湾市をドーナツのようにぽっかり穴を開けている飛行場は実に広大です。その基地のかたわらにある佐喜眞美術館には、丸木位利・俊夫妻の描いた大きな「沖縄戦の図」が展示されています。改めて集団自決の悲惨さを感じます。ちょうど長野県上田の無言館の特別展を開催中でした。彼らのように戦争はいくつもの才能と未来を消していったのでしょうね。 昼食のあと嘉手納基地を見学しました。本当にあきれるくらい広い基地です。雨が降り出し、象のオリを見学するときは土砂降り。トリイ基地って、鳥居があるって知ってた?なんで鳥居があるんだろう。チビチリガマは米軍が本土に上陸した場所であり、激しい集団自決のあった壕です。戦後には右翼による破壊もありそれもまた悲しい出来事です。予定の見学場所を見て時間があったので、残波岬へ足を延ばしました。遠くに珊瑚礁の環礁が見えて素敵です。満座ビーチへ移動しようと車を走らせると、大空にとっても美しい虹がかかりました。ホントにきれい! 万座毛ビーチの地平線に夕日が沈みます。

 6月10日(木)

 恩納村の海に面したリザンシーパークホテル茶谷ベイは沖縄最大のリゾートホテルです。午前中は小雨だったのでグラスボートに乗って珊瑚礁の海中を見ました。エサを上げると魚がいっぱい寄ってきてかわいい! お昼には晴れてきたので、午後からプライベートビーチで海水浴をしました。きれいな海はまだすいていて、のんびり泳いだり遊んだりしました。一日中リゾートして“南の島沖縄”を満喫。空港まで帰るタクシーでは、運転手さんから沖縄住民の声を聞くことができました。沖縄には基地もガイドラインもいらないんです。本当の平和が沖縄に、そして日本に、世界に訪れますように。

 6月11日(金)

 沖縄旅行の疲れが残っているのですが、さっそく新しい仕事が入りました。ホテルのプール&フィットネスクラブの紹介です。ただちに電話で資料請求をしてパンフレットを送ってもらうことにしました。沖縄で買った「ちんすこう」が期待以上においしくて大満足です。沖縄出身者に教わった新垣のちんすこうは、以前食べたものとだいぶ違います。こんなことなら、もっとたくさん買ってくればよかった。

 6月12日(土)

 東京に帰ってきてから過ごしやす日が続いています。昨日も今日もカラリと晴れていて、なんだか梅雨じゃないみたいです。ちなみに、今年の沖縄は空梅雨だったようです。早々に届いたパンフレットをもとに、原稿をまとめ始めました。16本紹介するのですが、どれも高いホテルばかりで私には縁のない世界だわぁ。夕方、大学生の義従兄弟が遊びに来ました。彼は地理学部ということもあり私たちの沖縄話や、出身地である北海道話で盛り上がりました。

 6月13日(日)

 東京競馬場へ安田記念をみに、義従兄弟と3人で行きました。久しぶりの競馬場でパドックを見るのも楽しかったです。メインレースの前レースで馬券を買ったら、ラッキーなことに当たった! そんなわけで気をよくして、最終レースまで遊んでしまった。今日は3レースやってほぼ当たったぞ。沖縄旅行記をまとめ始めたけど、まだまだ時間がかかりそうです。

 6月14日(月)

 プール&フィットネス取材は数を増して、続々と資料が届いています。さらにFAXも入り、ロール紙は海のようになって波打ってます。こうして部屋は資料であふれんばかりです。そろったものから書いていますが、「入会金200万円」など実感のない数字が羅列しています(笑)。写真を見ては「豪華〜」と感心するだけです。でも、世の中にはこれを使う人がいるから高級ホテルやクラブが存在しているわけで、そういう人がいるからこの雑誌を読む人がいて、私に原稿料が入るのです。うーん、感謝感謝。

 6月15日(火)

 蒸し暑い一日でした。仕事をやらなくてはいけないのですが、なんだか体調が悪くて原稿をまとめるところまで頑張れませんでした。気候のせいなのかな、疲れがでたのかな。ちょっと貧血のように息苦しくて、早く寝てしまいました。怪鳥さんも同じ症状でした。明日早起きしてやろっ。

 6月16日(水)

 原稿の締め切りですがまだ編集部から取材先が決まってこない所があり(!?)、とりあえず半分くらい形にしました。ホテルから預かった写真を、宅急便で編集部に送らなくてはいけないのですが、こういうときは本日の最終便(夜6時〜7時ころ)の集配にきてもらいます。さらに昔(4年ほど前まで)は、原稿もフロッピーで送っていました。でも今では、電子メールで納品できるので楽になりました。修羅場はまだまだ続きます。

 6月17日(木)

 とりあえずプール原稿が形になりました。最後は修正連絡まで入り、慌ただしく先方に確認して直すなんてこともしました。ようやく夜9時ころ完成! 義母が作ってくれた夕飯を食べて、やっと一息つきました。明日は江戸風鈴取材があるから、準備して早く寝なくちゃ。

 6月18日(金)

 『PC Life』の職人取材で、篠原風鈴本舗へ行きました。昨日からの雨で寒い一日だったので、ガラスを溶かす熱い炉が暖かく感じるくらいでした。三代目の若主人はおしゃべりの上手な楽しい人でした。他の取材の話や、ドラマ『結婚前夜』(NHK)で登場した江戸風鈴職人の話などとても盛り上がりました。最後に風鈴を買おうと思ったら、ご主人がプレゼントしてくれました。ありがとう! 江戸風鈴の良さは、ぜひ来月(7月8日発売)の『PC Life』を読んでね

 6月19日(土)

 TAMA市民塾の理事会に出席し、その後「郷土の森」の星空観測会に行きました。怪鳥さんは大学の天文研究部OB会に出かけたので、久しぶりに1人で向かいました(後で合流)。残念ながら雨降りだったから、説明だけで終わりました。梅雨も晴れ間の夜空はきれいなんだけどネ。TOKIOが『ただいま夢中』(フジ系)という番組で、沖縄の海に潜っていました。きれいな珊瑚礁がなつかしかった。

 6月20日(日)

 父の日は母と私たち3人からジョギングシューズをプレゼントしました。今まではいていたのが傷んでしまったので新しい物を買ったのですが、けっこう気に入ったらしく紐を通してはうれしそうでした。実家の父へは沖縄土産といっしょに郵送しました。両親にはいつまでも元気でいてほしいな。結婚して離れてからはいっそう願います。夜は中学生用web原稿を作りました。沖縄がまだ心に影響を与えています。

 6月21日(月)

 江戸風鈴の原稿を仕上げました。本当はいただいた風鈴の音でもききながら書きたいところなんだけど、ここ数日すっかり梅雨らしい涼しい日が続いていますね。怪鳥さんはイリジウムやスターシャインを調べながら観測をしていました。私もはじめてスターシャインの反射をみましたがほんの一瞬でした。でも、あんな小さなミラーボールが宇宙空間で光っているとけなげな気もします。今シーズン初の木星はとってもクリアーに見えておもしろかった。

 6月22日(火)

 来月のバーチャルハンズの取材に行きました。今回のテーマは「手づくりTシャツ」。少ない枚数なら、けっこう手軽にしっかりした物が作れてるんですよね。私のタンスにも日蝕Tシャツがいっぱいあるな。午後はプラネタリウム番組制作のスタジオ見学に行きました。今回初めて関わったプラネ脚本(原案程度ですが)のアフレコと音楽入れが行われましたのですが、とても興味深かったです。声優の石森達幸さんは声はもちろん、人柄もとても素敵な方でした。 今日は夏至。

 6月23日(水)

 「ハーメルンの笛吹き男」について書きました。ご存じのようにグリム童話なんだけど、これにはもとになる13世紀末に怒った事件の伝説があります。それにしても、童話とか童謡とかってちょっと不気味で不思議な世界ですよね。夜はさだまさしのファンクラブコンサートに行きました。今回は25周年記念ということでいつもとちがう趣きでした。5年前に松本で聴いた20周年コンサートのようにストリングスがついて、ゴージャスなステージでした。毎年行ってる長崎の夜景がスクリーンに映し出されてなつかしかった! 夏の野外コンサートの時のように『天然石の化石』『前夜−桃花鳥』など口ずさみました。さらに、5年前にライブで聴いて忘れられなかった『修二会』も演奏され感激でした。ちょうど今日は沖縄慰霊の日。8月6日の「夏・長崎から」のように、平和と愛について考える一日でした。

 6月24日(木)

 ゴーシュの会で『毒もみの好きな署長さん』を読みました。あまり見かけない童話なのですが、人間の悪にひかれる心がわかりおもしろかったです。明日締め切りの原稿があり、夜明けまでがんばりました。でも、明日は配達があるので早起きもしなくてはいけない!

 6月25日(金)

 『くろすとーく』7月号の配達をしました。いつもは雨が降らないように前日から祈るのですが(願うだけ)、今回は寝不足で疲れておりすっかり天候のことまで気が回りませんでした。そのせいじゃないだろけど、しっかり雨に降られてしまいました。帰宅してからも、さらに原稿書きがあり本当にヘトヘトです。

 6月26日(土)

 私は配達に出かけましたが、怪鳥さんは『むぎ星』編集のために準備していました。配達が終わった夜6時ころ電話すると「まだ誰もいない〜」と言う返事。びっくり!結局7時ころにメンバーが1人きて、3人で完成させました。80号なのにネ。

 6月27日(日)

 昨晩は、久しぶりに原稿を忘れてのんびり過ごしました。といっても、たまっていた日記を書いたり整理をしたりと、やりたかったことをやっと片付けた感じです。F−1フランス戦は予選も本戦も雨ですごい戦いでしたね。でも、いつもとちがうドライバーのバトルが見られて面白かった。でも、どうして私が応援するドライバーはリタイヤしちゃうの!? 怪鳥さんは「虎を応援するなー」と言います。

 6月28日(月)

 中学から続いているペンフレンドに手紙を書きました。彼女もすっかりお母さんです。今回は沖縄で見てきたことを書きましたが、電子メールじゃない手紙ってのもかえって新鮮で好きです。郵便配達人の手と時間を通して届く手紙には、私の書いた文章以外に府中の空気が包まれているような気がします。そして彼女がくれる手紙には、岐阜の風と彼女の子供たちの歓声が同封されています。

 6月29日(火)

 集金・銀行など用事を済ませながら、美容院で髪を切りました。今度は今までのヘアスタイルのうちで一番ショートです。流れ星の窓に書き込みをしてくれる「ぱとらっしゅ」こと門田さんが、出張のついでに寄ってくれたので一緒に夕飯を食べました。福岡の豪雨は彼の近所でも大変なようです。毎週楽しんでた「笑う犬の生活」の特番に宇多田ヒカルが出てた。確かに「Automatic」はエンディングで使われていたからネ。今のところ彼女の出演番組は全部見ちゃった。安藤さんまで出てて大笑いしてしまった。

 6月30日(水)

 浅草まで新しい仕事の打ち合わせに出かけました。昨日からあちこちで豪雨が続いていましたが、外出中はすっかり晴れていて助かりました。 今週末に諏訪へ出かける用事がありそれまでに上げなくちゃいけない原稿があるのに、あまりやる気が起こりません。困った…というわけで、これからがんばらなくちゃ!


 
このページの先頭に戻る
 99年のバックナンバー一覧に戻る
 現在のリトルの星くず日記に戻る
 リトルのページへ戻る