リトルの星くず日記

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(from 1996/6/1) 


2004年4月のバックナンバー


 4月30日(金)

 明日は実家で父の三回忌があるので今日から諏訪に移動。5月10日の御柱祭が終わるまで長期滞在する予定なので荷造りがいっぱいだ。喪服類・御柱祭用荷物・彗星観測道具・取材用具などやることが多いので必要な物も多い。これで本当に足りてるのかしら……忘れ物があって当然だな(^^;

4月29日(祝)

 観測あけにちょっとだけ休んだらすぐに鹿島戦ツアーに参加するために東京駅へ。かなり疲れたけれど偶然FC東京の常務さんと同じバスになりいろいろなお話が聞けて楽しかった。試合の方は前回のナビスコカップに続き開始2分で先制されどうなるかと思ったけど、後半に見事逆転して勝利! カシマスタジアム観戦で初めて勝ってうれしかった。

 4月28日(水)

 FASの寺久保さんの車に乗り3人で彗星観測に出かける。今回は八ケ岳方向へ行き、結局清里の近くで観測。彗星が昇ってくるまで夏の天の川で星雲星団などを見て楽しむが私は寒さのせいか腹痛でちょっと休憩。未明にようやく二彗星が見えるとブラッドフィールド彗星は尾がますます立派になり双眼鏡でもよくわかった。でもリニアー彗星はコマが明るいけど尾があまりわからずとても“肉眼彗星”とはいえないねぇ。

 4月27日(火)

 予報通り(以上に?)激しい春の嵐になった。雨と風が強くまるで家を洗っているようだった。夕方になり雨がやんだので、怪鳥さんと買い物に行く。私の欲しかった文具類は希望取りの安値で手に入ったが、探していたFASのEOS Kissデジタルを収納できそうな適当なバックがなかった。また時間のあるときに探そう。 深夜にFASで使うはがきと切手を買いに郵便局へ行った。臨時の窓口で65枚ずつと言ったら「慶事用じゃないですね?」と確認された。たしかに男女が大量のハガキと切手を買うのは結婚披露パーティの招待状だと思われても仕方ない(笑)。

 4月26日(月)

 28日の夜から5月10日までスケジュール過密で慌ただしくなりそうなので、来月のレギュラー原稿を早めに書き出した。午後から洗濯をしようと思ったけど「明日は天気が悪いよ」怪鳥に言われてやめた。春の天気は変わりやすい?

 4月25日(日)

 東向きの海岸で彗星が昇ってくるのを待つ。伊豆半島はあまり寒くなくて、満点の天の川を見上げているとサブン〜という波の音が聞こえて珍しくマンチックな気分になった(ふだんの観測は寒さに震えてトイレを我慢するという過酷な状況でまったくマンチックじゃない)。波の音に感激しながら国際宇宙ステーションを見ようと待っていたら、ちょうどそこに明るくて長い火球が流れて興奮した。薄明が近づいた朝5時ころ、灯台の上にリニアー彗星を発見したが淡くて尾も短かった。同じ高度で北にブラッドフィールド彗星を見る。こちらは尾が双眼鏡の視野をはみ出すくらい長くてとてもカッコよかった! 土曜日の新聞写真で様子はわかっていたが、実際に自分の目で見ると彗星らしい姿に感動した。朝焼けのなか満足して宿へ行く。先週FASで買ったばかりのEOS Kissデジタルの撮影画像をチェックしたら、2彗星ともきれいに写っていた。温泉に入ってから睡眠。お昼に起きて夕方帰宅。

 4月24日(土)

 かなり雲があり夜の星空観望会が心配でしたが、思いきって決行したらきれいな星空になりました。金星・火星・月・土星・木星が並び、テーマどおり「惑星三昧の一夜!」になりました。府中にしては珍しく透明度もよく、冬から春の星座がとても見やすかった。終了後、FASメンバーは彗星を観測するために伊東へ移動。 女子サッカーが北朝鮮を破りアテネ五輪の出場が決定した。これで男女そろって五輪参加だ!

 4月23日(金)

 なんとか締切りに間に合いこれで4月の仕事が(ほとんど)終わったぞ!というわけで二人で買い物に出かけた。荷物が大きくてロードスターに納まりそうもないので、父が先週の土曜日に買ったばかりの新車を借りた。傷つけられないので運転するのにドキドキ(^^; まずは電化店でビデオテープを1箱(10本)をGW用に。ホームセンターで怪鳥さんのパソコン下へ引くじゅうたんを新調する。先日行った家具屋でみつけた怪鳥さんのイスを購入。さらにドラッグストアで私の常備薬を数種類買い込む。そしてコンビニでサッカー誌をみる。というわけで、ここ2カ月ほどの検討商品をいっきに買った! 夜はさっそく怪鳥さんがイスを組み立てて新じゅうたんをひいて、パソコンまわりがきれいになりました。

 4月22日(木)

 今週は暑い日が続いています。夏日の25度を軽く超すような暑さにちょっとゆだってみたり。それでも朝夕になると気温が下がって涼しいのは、やっぱりまだ春だから?(^^) 家の前のケヤキ並木も、すっかり青々と茂っています。 残りの原稿やバックナンバーのリライトなど膨大な原稿を仕上げる。怪鳥さんにそれらをレイアウトしてもらい、翌未明にやっとニュースレター2誌が完成! ふー、疲れた。

 4月21日(水)

 ひたすら原稿書き。そんなあいまにニュースで聞く「イラクで拘束された人々の自己責任」という、なんともつまらない日本人的な思想感情による世論にあきれてうんざりした。しかもそんな日本の世論に対して、イラクやアメリカやフランスでは「実にナンセンスであり、彼らの功績の方が偉大だ」と報じているというのに。彼らは日本政府の自衛隊派遣によって危険な目に遭わされ、さらに世論の誹謗中傷によって(もしかしたら拘束されているときよりも)重大なストレスにさらされているように見える。解放直後にイスラム聖職者協会の人々と一緒にあんなに喜びを表していた彼らから、人間らしい表情をうばったのは誰なのか実に明白だ。スペインでは兵を撤退。

 4月20日(火)

 今週末(木曜日夜・金曜日朝)がニュースレターの締め切りなのでガンガン原稿を書いています。そして、どんどんイラストの発注をメールで送っています。今月は御柱祭で諏訪に行ったり、イレギュラーな原稿の取材などで時間をとられたから、かなりあせってます。

 4月19日(月)

 先日買ったまま忙しくて作るひまがなかったミニ書棚をようやく組み立てる。いつもカラーボックス類は怪鳥さんに組み立ててもらうが、今回は珍しくすべて自力で製作。完成したあと資料の書籍を並べてみるとかなりイメージ通りになり大満足。ときどき眺めてはニンマリしてます(^^)

 4月18日(日)

 FAS府中天文同好会の定例会、新入会員がきてフレッシュな感じだった。最近新人さんが増えているし、いろいろな彗星(リニアー彗星ニート彗星ブラッドフィールド彗星)が来ているので、観測会もたくさん予定された(どれだけ観測できるか!?)。九州会員の門田さんも長期出張中で東京にいたので参加。定例会のあと彼が社内報で使う写真を撮るために、わが家の前にFAS所有のドフソニアンを出した。ついでに金星や木製・土星などを観望。三日月型の金星がきれいだった。

 4月17日(土)

 磐田戦の観戦ツアーに参加。とてもいい天気でバスの中でも日焼けしそうだった。1年ぶりのヤマハスタジアムだが、やっぱりジュビロは強かった……。 イラクの日本人二人も解放された。彼らは人質というより米国のスパイ容疑をかけられ身柄を拘束されたようだ。彼らが逆に、イラクの被害を伝えるジャーナリストであったことで解放された。安田氏が拘束されたときの状況を語った内容は実に興味深いものだった。私たちには非人道的に思われる犯人グループでも、お互いが真摯に語り合うことで人間としての信頼感が生まれ、誤解が解けて解放されたことに感動すらした。「銃を持っていないから解放された」という言葉に、武器が身も守るとは限らないことがよくわかった。

 4月16日(金)

 怪鳥さんの誕生日。おめでとう! 二人でケーキを買いに行き、家族みんなで祝う。 昨日イラクで解放された人質事件について報道を見聞きすると、日本政府の無知と世論の愚かさに憤りを感じた。政府の問題すり替え(自衛隊派遣がこの事件の根元であること、政府の解放活動がまとはずれで肝心のイスラム聖職者協会に働きがなかったこと、イラクの内情をまったく把握していないこと)にあきれるのはもちろん、そんな政府発表に踊らされていっしょに“3人の自己責任”など唱える世論に悲しくなった。解放直後にイラク聖職者といっしょに人間らしい喜びを表していた3人から表情を奪い、精神に支障をきたすほどの強いストレス(不信感と悲しみ)を与えたのはイラク人より私たち日本人(政府と世論)の方だ。“本当のイラク”を体験した彼らの貴重な話を聞く機会を、日本国民は自ら遅らせたことになり残念だ。じっくりと耳をかたむけるのは政府発表より、真実のイラクの姿を語れる3人と、解放のために心を砕いてくれたクバイシ師らのコメントだ。

 4月15日(木)

 先日から怪鳥さんが探していた古い原著が上智大学のイベロアメリカ研究所に所蔵されていることが分かり二人で出かけた。探していた物にやっと巡り会えてよかったね。それにしても「イベロアメリカ」という言葉(イベリア半島の影響を受けているラテンアメリカをさす)をはじめて知ったよ。四谷の土手は八重桜がきれいに咲いていて、濃桃色がこんもりして美味しそう(^^;だった。そのまま資料を持って『星ナビ』編集室へ行き納品。これでぶじ完成!お疲れさま>怪鳥 夜TVを見ていたらイラクで人質になっていた3人が解放されたニュースが流れた。解決して良かったと思う一方、昨日から新たに日本人2人がイラクで行方不明(拉致?)になっているのも心配だ。

 4月14日(水)

 めずらしく水曜日のJリーグ。御柱祭でしばらくFC東京の試合を見に行ってなかったので久しぶりに怪鳥さんと出かける。それにしても「味スタでのセレッソ戦」はいつも雨のような気がする。平日の雨……にもかかわらず入場者数はなんと2万人! けっこうサポーター達も力が入ってるなぁ〜と思ったが、試合の方は残念ながら1−1のドロー。この試合は選手のプレーより、審判の悪さの方が印象に残り残念だった。ケリー選手のレッドカードも戸田選手のゴールのオフサイドもとっても悔しいよ。

 4月13日(火)

 森山直太朗のコンサートが調布であるのでチケットを購入。ほかにもお金を振り込む必要があり銀行へ行ったり、届いた似顔絵を印刷して代引きで発送したり。夜はたまっていた原稿書きをいっきに仕上げる。レギュラー仕事をやる時間がなかったのでかなりあせってます。

 4月12日(月)

 怪鳥さんの原稿で時計について調べることがあり、下諏訪の諏訪湖時の科学館儀象堂に行く。探していた内容ははっきりしなかったけどいろいろ参考になったようだ。ついでに注連掛けに寄って8本の御柱がそろた様子を見る。少しくらい見物人がいるかなと思ったら、何台も車が止まって大勢が見に来ていてビックリした。 諏訪はすっかり桜が満開になった。先週末の雪がウソのくらいこの4日間とてもいい天気でGW並の暑さだったもの。諏訪湖畔でも下諏訪でもきれいに咲きそろって、移動しながらお花見が楽しめた。府中に着いたらこちらはすっかり花が散り、すでに緑の葉が青々していた。

 4月11日(日)

 下社山出し最後の御柱であり、メインイベントでもある「秋宮一の柱」の木落としを見に行く。今日は坂の途中の斜面に陣取り、木落としを横から見る。柱に近いのでセレモニーがよく見えたが、落とすまでとにかく長く待たされた。こうして今まで何本もの柱の運行を見てくると、だんだん上手なところと下手なところがわかってくる。今年の秋一はあまり上手な運行でなく、坂を下りる綱のブレーキのかけ方(大事なのは綱を止めることでなく、柱そのものを止めること)や頭の出し方(上手に木落としするには充分に頭を出すこと、そのためには元綱がしっかり引っぱること)が実行できていないように見えた。そんなわけで予定時刻を大幅に上回る夕方5時にやっと落ちた。自分たちも道を下り木落としを終えたばかりの御柱を見ると、その姿を写真に納める。こうして今年の御柱祭の木落としが終わった。なんだか少し寂しいような気もします。

 4月10日(土)

 さすがに疲れてお昼頃まで熟睡。午後から御柱祭を見に二人で出かける。天気が良くて歩いていると汗ばむほど暑かった。今まで木落としは坂の下から見ることが多かったので「ぜひ後ろから見てみたい」と私が思い、坂の上で見物した。本日3本目の春宮一の柱が木落とし坂に近づき、みんなが高揚している姿が見られた。やがて追い掛け綱が掛けられ徐々に柱の後ろが上がると、斧で綱が切られ勢いよく落ちていった。とても興味深かった。母に頼まれた買い物をしてから、諏訪湖畔を通ったら桜並木が咲き始めていた。「高島城の桜も咲いているかもね」といって寄ったら、思った通りところどころ咲き始めてきれいだった。

 4月 9日(金)

 朝5時に起きて支度をし、秋葉神社で御柱祭曳行の安全を祈祷。天気も良くていい御柱祭日和になりそう。専用バスで木落とし坂近くまで行き、そこから御柱の置いてある棚木場(たなこば)まで40分ほど歩く。8時30分ころ神事を行い、9時ころ曳行開始。「さぁ、曳くぞ!」と思ったが、いきなり赤旗でストップ。周りのおじさんが「何やってんだぁ〜。動かないなら呑んじゃうぞ〜」とさっそく酒宴モード。みんなの肩には水筒ではなく酒パックが下がっている。その後も元綱係りが悪いのかあまり進まず、曳き子はすっかりできあがっちゃうし(^^;予定からだいぶ遅れるし。お昼になっても林道から抜けられないまま昼食休憩。私の地区の休憩所はかなり下だったので歩いているうちに、「先頭の柱が予定通り木落としを終了」のアナウンス。今日曳航しているのは3本だけなのに、すっかり上諏訪担当の秋宮二だけ遅れてるよ。昼食をとり休憩し戻るとさすがに秋二も林を抜けて萩倉地区まで来た。炎天下で真面目に曳いているとかなり疲れてくる。私は大曲りの難所で写真撮影などしていたけど、怪鳥さんは前回叶わなかったこともありかなり真剣に曳き続けた。夕方5時過ぎにようやく木落とし坂まで到着。深い谷間にあるこの場所は、まもなく日も沈みあたりは薄暗い。私たちも綱を持って坂を下るが、最大斜度35度の急坂で転がりそうになり私は途中の待避所でよける。怪鳥さんはそのまま綱を持って下の方まで行ったらしいが、私は旗持ちや木遣りの人たちといっしょに落とし口から数mの場所で見ることにした。夜7時すぎセレモニーを行いいざ御柱が落ちるときにはすっかり真っ暗で、カメラのフラッシュのなか木が浮かび上がるという珍しい景色だった(^^; 御柱がすっかり落ちると私も急坂を転がるようにおり、やっと怪鳥さんと合流した。その後は注連掛け(しめかけ)までまだ1キロほど曳かなくちゃいけないのに、すでに曳き手も少なくなりここが一番大変だった。やっとのことで曳きつけると「バンザイ!」をして8時40分に完了。二人ともへとへとになった。帰宅するために下諏訪駅まで40分間ほど歩いていたら、空が暗くて星がとてもきれいだった。家に着いたときには10時を過ぎていた。疲れたけど充実した御柱祭だった。やっぱり御柱祭は「曳いてこそ!」だね。

 4月 8日(木)

 二人ともそれぞれの仕事や作業などを進める。明日の御柱祭はいよいよ自分たちの曳行担当で朝早いので、今夜はいつもより早めに府中をたつことにした。怪鳥さんの喉は何とかもちそうで良かった。 そんな荷造りをしていたとき、イラクで日本人が人質になったというニュース。「自衛隊撤退を要求」ということで早い解放をのぞむ。彼らが真の意味でイラク国民のために国際貢献している人たち(ジャーナリストもファルージャで米兵がイラク人に何をしたかを伝えるという活動)だったから、それが通じることを願う。そして自衛隊を派兵したときから、彼らのようなNGO活動を妨げることになると心配していたことが現実になり、いっそう強く米国追従主義をやめてほしいと感じた。

 4月 7日(水)

 似顔絵の依頼仕事がたて続けにきてイラストレーターに手配する。似顔絵作品の印刷をしていた用紙がなくなったので買いに行きがてら、先日から壊れている怪鳥さんのイスをみにいく。先月新しくできた家具屋を見たり、別のホームセンターで探したり。結局、怪鳥さんのイスはまたの機会になり、私の欲しかったミニ書棚を購入。だって広告の品で格安だったんだもん。 夜は野球本のリライト作業など。

 4月 6日(火)

 怪鳥さんが取材中の資料を閲覧しに国立天文台図書室へ行く。古い書物は紙が崩れそうで恐る恐るページをめくる。英語の書物ですらかなり見つめないと頭に入らない私にとって、フランス語?の資料はまったく謎の本です。そんななか故・斉藤国治先生の寄贈図書を見ていると「先生もこの書籍を手に取り調べたんだなぁ」とちょっとタイムスリップした感じ。古い資料は貴重だ!と改めて思い感謝。 帰りに府中の学習センターで図書を借り、怪鳥さんはかかりつけ医院へ行き扁桃腺を看てもらう。私はガソリンスタンドに行きつつ桜並木で桜見物。

 4月 5日(月)

 雪もやみ晴れがあり諏訪もいい天気。昼に移動して府中へ帰ってきたら、桜はまだ咲いていた。てっきり週末で散ってしまうと思っていたから、まだピンクの桜を見ることができてうれしかった。怪鳥さんは仕事の打ち合わせですぐ都心へ行く。私は御柱祭で着たものなどを洗濯したり、部屋の掃除をしたり家事で忙しかった。夜になって怪鳥さんが帰宅したけど少し疲れたようだ。前回の御柱祭で扁桃腺をはらせて大変だったから、今回はくり返さないように注意していたけどやっぱり疲れるし寒かったから体調不良になってしまったようだ。

 4月 4日(日)

 朝から降り出した雨はなんと雪になった! 厚着をしてカッパを着込んで出かけるとちょうど本宮三が川越しを終えたところで、御柱屋敷(来月の里曳きまで柱を留め置く広場)で「万歳!」をしていた。冷たい川に入り雪まじりの雨に打たれた曳き子たちの体からは湯気があがっていた。その後やって来た前宮三は曳き子がやや少なく川も増水していたので、安全を考えてメドデコを付けずに丸太ん棒のまま川越をした。こんな川越し、はじめた見た。次の本宮4はさすがに地元ちの・宮川の柱だったので、通常通りメドデコを付けて派手に渡った。そりゃ、「宮川」を渡る川越しだものね。柱がちょうど川に入ったときからみぞれが牡丹雪になり、いままでの御柱祭にない風景になった。ラストの前4まで見守りたかったがさすがに見ている私たちも疲れてしまい帰った。多少のけが人もあったけど(それでも昔よりずっと安全になっている(^^;)、こうして上社の山出しが終わった。 夜に府中へ帰る予定だったけど、雪がやみそうもないので明日の昼に延期。車はいちおうスタッドレスタイヤなんだけどね。

 4月 3日(土)

 とてもいい天気で暖かく人出も多くて賑やか! 川越しポイントへ行ったがまだ御柱が来ていないのでとりあえず御柱祭街道をさかのぼる。国道を渡ると(御柱が渡るときはなんと国道の車を止めるのだ)と、木落としを終えた本一が休憩中だったのでさわったり写真を撮ったりした(曳いてる最中はあまり近寄れない)。木落とし坂へ行くと昼前に落とした前一が方向転換して細いガード下をくぐるところだった。ここも難所の一つ。坂の上では本二(あの元気のいい中洲・湖南)がすでに頭を出し「早く坂下をあけてくれ」といわんばかりだった。この御柱の曳き子はとても上手できれいに静かに坂を下りメドデコも倒れることなく観客からも「みごと!」という歓声が上がった。しかし次の前二は坂を下りるときにバランスを崩してしまった。ニュースによると準備ができないうちに誤って御柱が落ちてしまったらしく、傾いたメドデコから落下した人などで5人がケガをした。今日の木落としはこれでお終いなので、私たちは川越しの場所へ移動する。前一の柱がまだ川から上がらずにいたが、これも川に入ったときメドデコが折れて一人が軽いケガをしたらしい。やっと柱が上がったとき、またもや元気な本二がやってきてテキパキと準備をすると10分というスピードで川越しをすませた。本当にこの御柱はなにもかも手早く見事だった。

 4月 2日(金)

 いよいよ御柱祭が始まる。0歳のときの申年をいれて私にとってもう7回目かぁ……。雨のなか始まった上社の山出しは、昼から陽射しがさしてみな勢いよく曳いていた。今回本一を曳くのは御柱祭街道のある玉川・豊平地区でかなり速く進んだ。次の御柱・前一を曳くのは湖東・北山・米沢というやや人の少ないところでスロー気味。それを追いかけるように本二を曳く中洲・湖南はそろいの衣装で結団した若者が多くとにかく勢いがある。本日最大の難所の「穴山の大曲り」もスムーズに進行。やはり人手の少ないところ(富士見など)は曳くのも曲がるのも大変そうだ。明日行われる木落としや川越しの地元であるちの・宮川は本四で前の柱を追い越しそうな勢いだった。最後の前四を曳く豊田・四賀はなごやかな雰囲気で早々に終了した。(前回の速報を参照)

 4月 1日(木)

 「エイプリル・フール」といっても今まで何もしたことないなぁ。あなたは何かした? そんな行事とは関係なく、今日も取材調査の電話は続く。あちこちかけてちっとも結論が出ないこともあれば、手こずると思った宮内庁の許可依頼があっさり判明することもある。 届いた似顔絵作品を印刷して代引きで発送。ついでにイラスト印刷用紙が終わりそうなので買いに行く。怪鳥さんの壊れたイスも買うつもりだったけど、購入したのは私が欲しかった手元書棚だけ(^^; だって激安だったんだもん。夜は残っていた原稿を急いで仕上げて納品し、これから諏訪へ移動です。

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